「通信制高校 親の気持ち」で検索すると、出てくるページは二手に分かれます。

片方は、子どもが書いたものです。「親に申し訳ない」「通信制に行きたいと言い出せない」「自分でも楽な方に逃げている気がする」。もう片方は、親が書いたものです。「通信制を恥ずかしく思ってしまう自分が嫌になる」「ご近所の目が気になる」「これでよかったのか分からない」。

同じ言葉で検索しているのに、立っている場所が正反対です。

私は、その両方に立ったことがあります。中学の途中から学校へ行けなくなり、親が持ってきた通信制高校の資料をきっかけに進学して、卒業して働き始めました。そしていまは、二児の親です。子ども側の記憶と、親としての感覚を、同じ一人が持っている——この記事の取り柄は、たぶんそこだけです。

だからこの記事は、どちらか一方に向けては書きません。両方を、交互に書きます。

この記事が扱うのは「通信制を進路に選ぶ場面」です

先に範囲をはっきりさせておきます。ここで書くのは、通信制高校を進路として選ぶ(あるいは選ばせる)場面で、親子それぞれの中に起きることだけです。

同じ「親の気持ち」でも、お子さんの状況によって必要な話はまったく違うので、先に整理しておきます。

いまの状況読んでいただきたいもの
高校を辞めた/辞めそう高校中退した子の親の気持ちへ(在籍の扱いや書類の段取りまで別に書きました)
まだ学校に行けていない段階で、親として何をすればいいか不登校の子の進路、親にできること
私の不登校から社会に出るまでの全体中学で不登校だった私が、通信制高校を選んで社会に出るまで
進路として通信制が候補に挙がっている(=この記事)このまま読み進めてください

なお前提として、通信制高校とは、毎日通わずに単位を積み上げていく高校です。 レポート(添削指導)とスクーリング(面接指導)、試験で単位を取ります。制度上は全日制と同じ高等学校で、卒業すれば高卒の資格になります。

「親に申し訳ない」と思っている人へ

先に結論を書きます。申し訳なさと、その進路が自分に合っているかどうかは、別々の問題です。 混ぜてしまうと、進路の話が「誰に許されるか」の話に変わってしまいます。

そのうえで、正直に書いておきたいことがあります。私は、申し訳ないと思っている人に「私もそうでした」とは言えません。

当時の私が親のことをどう思っていたかと聞かれると、正直、そこまで見えていませんでした。だから「申し訳ないと思っていました」と書くのは嘘になります。

ただ、ひとつだけはっきり覚えていることがあります。

その引け目が当時の子どもの目にどう映っていたかは、高校中退した子の親の気持ちへのほうに詳しく書きました。ここで書いておきたいのは、一点だけです。

家の中で、二人が別々の方向に気を使っている。 いまの私から見ると、あれはそういう状態でした。子どもが親に申し訳なさを感じているとき、親の側もたいてい、別の理由で言葉を選んでいます。どちらかが加害者で、どちらかが被害者という構図ではありません。

「楽な方に逃げている」について

これは、通信制を選ぶ子がほぼ全員ぶつかる言葉だと思います。私の答えは、たぶん期待されているものとは違います。

私は、楽な方を選びました。そして、そのおかげで卒業できました。

一度つまずいたら終わり、という仕組みだったら、私はどこかで続かなくなっていたはずです。だから「逃げていない」と反論するつもりはありません。逃げ道があったから、私は最後まで残れたというのが、起きた事実です。

そして、その「楽な方」で私が何をしていたかというと、これです。

高校生活の中身は、通う日数では決まりません。空いた時間に何が入るかで決まります。私の場合、そこに入ったのは仕事でした。いまその話をすると「感心だね」と言われますが、当時の私は、逃げた先で働いていただけです。同じ行動が、立つ場所によって「逃げ」にも「自立」にも見える。それくらい、この判定はあてになりません。

数字の話をひとつだけ

自分だけが特別な事情で来た気がする——その感覚に対しては、事実で答えるのがいちばん早いと思います。

文部科学省「令和7年度通信制高等学校実態調査に関する調査結果について」(令和8年8月31日公表・調査対象323校/2026年9月17日確認)によると、令和7年度に通信制高校へ入学したのは77,998人。このうち中学3年生のときに不登校だった生徒は44,461人で、割合にすると57.0%です。

つまり、入学者の半数以上が、あなたと似た経路で来ています。 学校の側から見れば、それは例外への対応ではなく、通常の受け入れです。申し訳なさを感じる相手は親であって、学校ではありません。

親に言えない・反対されそうなとき、何から話すか

結論から書きます。説得の言葉を探すより、反対の中身を分けるほうが早いです。 「通信制はちょっと」という一言の中には、たいてい別々の心配が4つくらい入っていて、それぞれ確かめる場所が違うからです。

親が言っていること実際に心配しているもの確かめられる場所
「お金がかかるんじゃないの」私立の学費と、支援制度の適用通信制高校の学費は無償化でどうなる?
「卒業したあと、どうするの」就職・進学の実際不登校の子の将来はどうなる?
「どうせ続かないんじゃないの」自宅学習が続けられるか通信制高校に向いてない人はいる?
(言葉にされないことが多い)世間体・親戚や近所の目この記事の次の見出し

ここを分けずに話すと、お金の話をしているつもりが世間体の話になり、最後は気持ちのぶつけ合いで終わります。どれについて話しているのかを、ひとつずつ確定させるだけで、会話はかなり進みます。

そして、反対の正体が「知らないこと」だった例を、私は身近で見ています。

反対の下にあったのは、評価ではなく情報の不足でした。 学校の良し悪しを判定しようとして迷っていたのではなく、そもそも判定する材料を持っていなかった。上の表でいえば、確かめる場所さえ決まれば片づく種類の心配です。

「通信制なんて」と思ってしまう親の気持ちについて

ここからは親側の話です。先に書いておきます。通信制に引け目を感じてしまうこと自体を、私は責める気になれません。 まったく同じ引け目を、当時の私が持っていたからです。

親が「近所にどう説明しよう」と考えているとき、子どもは子どもで、同じ視線を別の場所で怖がっています。 どちらかが弱いわけではありません。ただ、お互いにそれを相手には言わないので、家の中では見えないだけです。

ではその視線は、実際にどのくらい飛んでくるのか。20年ぶんの実感を書きます。

身構えているのは、たいてい自分の側です。こちらが人生の一大事として抱えている情報を、相手は一言で受け取って次の話題に移っていきます。

私が通ったのは20年ほど前の、N高とは別の通信制高校です。いまの在校生を見ていると、その差はもっとはっきりします。

「これでよかったのか」と眠れない親へ——20年後の答え合わせ

私の家で起きたことを、事実だけ書きます。そこから一般的な教訓を引き出すことは、たぶんできません。 その理由も、あとで正直に書きます。

ここで一つ、私自身の受け取り方として書いておきたいことがあります。

世間で言われる通信制のイメージは、たぶん「家にこもるほう」の選択です。ところが私の場合は、逆の入口として見えていました。 すでに閉じていた側にいたので、月に何回かでも外に出る予定がある学校は、閉じる方向ではなく外と繋がり直す方向に見えた。毎日ではないから、怖くもなかった。

ただし、これは私ひとりの受け取り方です。不登校の子がみんなそう感じる、という話ではありません。 現に私自身、気が楽だという感覚と、まったく行かないわけではないことへの不安を、同時に持ったままでした。

あの資料がなければ、通信制という道を知らないまま終わっていたかもしれない——そう思っています。ただしこれは、結果を知っている側からの推測です。

ここから先が、この記事でいちばん書きたい部分です。

この話を「親が動いたから子どもの人生が変わった」という物語として読まないでください。 私はそう読まれることを、この記事でいちばん恐れています。

理由を3つ書きます。

ひとつめ。私の親は、動き続けていた親ではありません。 学校に行けなかった時期の大半、何も言えないままでした。転校させたことへの引け目もあって、言葉が見つからなかったのだと思います。信念があって黙っていたのではなく、たぶん、ただ分からなかっただけです。

ふたつめ。私の側が動き出すタイミングまで、親が作ったわけではありません。 3年生になり、進路を決める時期が近づいたころ、自分の中で何かが少し動いて、家で勉強を始めています。一人では続きませんでしたが、動いたこと自体は、誰かに言われた結果ではありませんでした。強く説得された記憶もありません。 親がしたのは、資料を持ってくることと、「通信制がいいんじゃない?」の一言までです。あのタイミングそのものは、親が作れるものではなかったと思います。

みっつめ。私が「あれが良かった」と言えているのは、結果として、その先の道が見つかったからでもあります。 もし通信制が合わずに続かなかったら、同じ出来事を私は別の意味で覚えていたかもしれません。結果が出たあとに振り返って意味づけているだけで、当時それが正解だと分かっていた人は、家の中に誰もいませんでした。

自分を責める気持ちが強い方は、「不登校は親のせい」と責められている方へのほうに、国の調査で確認できることと、親御さん自身が使える公的な相談先をまとめてあります。この記事より、そちらが先だと思います。

後悔と心残りは、別のものでした

親御さんがいちばん恐れているのは、お子さんが将来「あのとき通信制にしなければ」と思うことだと思います。そこについては、20年経った当事者として答えられます。私の中にあるのは、後悔ではなく心残りです。

心残りは、消えないまま持っていられます。後悔は、選択そのものを否定します。この2つは、外から見ると似ていますが、本人の中ではまったく別のものです。 お子さんが将来「普通の高校も見てみたかった」と言ったとしても、それが進路そのものの否定だとは限りません。

親子で温度が違うとき、話を前に進める順番

最後に実務です。決めるかどうかの話を先にすると、たいてい気持ちの話になって止まります。 材料をそろえてから話すほうが、結果的に早く進みます。

  1. 決める話を、いったん止める

    「行く/行かない」を保留にする。この段階で結論を出さない

  2. 材料をそろえる

    候補校の通学頻度・サポート体制・在籍年数の扱い・費用を、紙の上に並べる

  3. それぞれが別々に見る

    同時に見ると相手の反応が気になる。親は親、本人は本人のタイミングで

  4. そのあとで話す

    事実の上で話すと、感情のぶつけ合いになりにくい

この順番をおすすめするのは、どちらか一方が我慢する形を避けたいからです。親が折れて認める形も、子どもが諦めて従う形も、あとで「あのとき本当はこう思っていた」が残ります。

材料をそろえる作業には、もうひとつ利点があります。本人を巻き込まずに、親だけで先に進められることです。届いたものを見せるかどうかは、そのあとで決められます。

私自身、いま同じことをするとどうなるのかを確かめるために、N高グループの資料を自分で請求してみました。何が入っていて、どこに何が書かれているのかは届いたもの6点を1つずつ開いた記録に残してあります。請求は無料で、紙が届く前に電子版が読める仕組みでした。取り寄せること自体は、入学を決めることではありません。

まとめ

「通信制高校 親の気持ち」という言葉の両側に、書けることを整理します。

  • 子ども側へ:申し訳なさと、その進路が合うかどうかは別の問題です。私は楽な方を選び、そのおかげで卒業できました
  • 令和7年度に通信制へ入学した77,998人のうち57.0%が、中学3年生のときに不登校でした。学校にとっては例外ではありません
  • 親側へ:反対の中身は、お金・進路・継続・世間体に分けられます。分けた瞬間に、確かめる場所が決まります
  • 通信制に引け目を感じてしまうこと自体は、責められるものではありません。同じ引け目を、当時の私も持っていました
  • 私の家に残ったのは、親が持ってきた3校分の資料です。ただし親が正しく動けば子が救われる、という話ではありません。うちの親も、ほとんどの時間は何もできていませんでした
  • 20年経って私の中にあるのは、後悔ではなく心残りです。その2つは、本人の中では別のものです

この記事に、どちらかを安心させる結論は書けませんでした。書けたのは、片方の立場から見えているものが、もう片方からはこう見えていたという記録だけです。それでも、家の中で別々に自分を責めている二人にとっては、少しは役に立つのではないかと思っています。