「N高等学校 恥ずかしい」——この言葉で検索して、この記事にたどり着いたのだと思います。

まず言わせてください。その検索を、誰かに見られたくなかったですよね。 学校の話も、恥ずかしいという気持ちそのものも、周りには聞きづらい。だからGoogleに聞いた。その気持ちは、私にはよく分かります。

私は通信制高校の卒業生です。そして在学中、自分の学校のことを聞かれるのが苦手で、正直、ごまかしていた時期があります。この記事では、その恥ずかしさがどこから来て、どう消えていったのかを、きれいごと抜きで書きます。

私も、言えませんでした

最初に、私自身の話をします。

当時の気持ちを分解すると、「通信制だと知られたら、何か聞かれる。説明しなければならなくなる。相手の反応を見なければならなくなる」——その一連のやりとりが嫌だった、というのが正確なところです。学校そのものが嫌いだったわけではありません。むしろ学校には感謝していました(そのあたりは体験記に書いています)。

学校に感謝しながら、学校名を言えない。 この矛盾した状態こそが、「恥ずかしい」の実態でした。あなたがいま同じ状態でも、それは学校への裏切りではないし、性格の欠陥でもありません。

社会人になって、恥ずかしさは形を変えました

卒業して働き始めると、恥ずかしさは消える——と言いたいところですが、実際は少し違いました。

これが、私がこの記事でいちばん伝えたいことです。恥ずかしさの正体は、学校の問題ではなく、「自分はまだ何者でもない」という時期の心細さでした。それは全日制の高校生でも大学生でも、形を変えて誰もが持っているものです。通信制という「少数派」の立場が、その心細さに名前を与えてしまうだけなのだと思います。

だから、解決策は「通信制を好きになること」でも「気にしないよう頑張ること」でもありません。目の前のことを積み重ねて、できることを増やすこと。 遠回りに見えて、これが唯一ちゃんと効いた方法でした。

いまのN高生は、驚くほどオープンです

ここからは、現在の話をします。私の店では、いま現役のN高生が4人アルバイトとして働いています。

数字もこの変化を裏付けています。N高グループだけで生徒数は36,371名(2026年3月末・公式パンフレットより)。文部科学省の学校基本調査では、通信制高校で学ぶ生徒は全国で約26万人(令和5年度)。高校生のおよそ11人に1人にあたる規模で、もはや「クラスに1人はいる進路」です。「珍しい進路」であるほど視線は集まりますが、通信制はもう、珍しい進路ではなくなりつつあります

「N高はやめとけ」という言葉が気になっている場合は、その検証記事も書いているので、不安の中身を分解してみてください。

それでも恥ずかしいときの、実用的な対処法

とはいえ、感覚は理屈では消えません。いま現在の「言いたくない」にどう対処するか。経験者としての実用解はこれです。

3つ目は本当に強調したいところです。学校名を聞いてくる人のほとんどは、世間話をしているだけで、あなたの進路を審査していません。「どこの高校?」「通信制のとこ」「へー」——実際の会話は、たいていこれで終わります。恐れている尋問は、めったに起きません。

就職の場面が不安な場合は、通信制から就職はできる?で、卒業生として・採用する側として両方の実際を書いています。

「でも実際、下に見られることはあるでしょ?」に正直に答える

きれいごとで終わらせたくないので、この問いにも答えておきます。

偏見が世の中にゼロかと言えば、ゼロではありません。 私の在学当時は今より通信制が珍しく、マイナスに見る人は確実にいました。いまも、通信制をよく知らない人の中には、古いイメージで語る人が残っています。ここを「気にしすぎ」と片付けるのは不誠実だと思います。

ただ、卒業して社会に出て分かったことが2つあります。

ひとつ。あなたを下に見る人は、学歴がなんであれ何かしらの理由で人を下に見ます。 その人の癖であって、あなたの問題ではありません。そういう人と長く付き合う必要は、実はほとんどありません。

ふたつ。評価は接触時間に比例して「学歴」から「あなた自身」へ移ります。 初対面の3分は肩書きで見られても、3か月一緒に働けば仕事ぶりでしか見られません。だから偏見が影響するのは入口の一瞬だけで、その入口すら、履歴書の書類選考以外ではめったに発生しない——これが実感です。

偏見は「ない」のではなく、「思っているより効力が短い」。この距離感が、経験者としていちばん正確な答えです。

場面別:こう乗り切ればいい

「聞かれたら短く答える」を、よくある3つの場面に当てはめておきます。台本があると、その場で固まらずに済みます。

親戚の集まりで「学校どう?」と聞かれたら

「楽しくやってるよ」で満点です。 親戚が聞きたいのは学校の制度ではなく、あなたが元気かどうかです。通信制の説明を求められているわけではないので、近況を一言返せば会話は成立します。深掘りされたら「ネットで授業を受ける高校で、自分には合ってる」まで言えれば十分すぎるくらいです。

昔の友達に「いまどこの高校?」と聞かれたら

一番ドキッとする場面だと思います。でも思い出してください。相手はあなたを審査したいのではなく、近況を知りたいだけです。「N高ってとこ。ネットの高校」で普通に会話は進みます。私の店のN高生たちを見ていると、むしろ「eスポーツの部活がある」「行事で沖縄に行く」といった話は、全日制の友達から面白がられるネタになっています。隠す材料ではなく、話のネタになる時代です。

バイトの面接で学校を聞かれたら

ここは堂々と言うことが、むしろ得になります。採用側から見ると、通信制の生徒は平日の日中に入れる貴重な戦力だからです(採用する側の本音はN高生4人と働いてわかったことに書きました)。「通信制なので平日昼も入れます」は、面接で使える強力なカードです。弱みだと思っていたものが、場面が変われば強みになる——その典型例です。

親御さんへ:隠したがる子を、直さなくていい

もしこの記事を読んでいるのが保護者の方で、お子さんが学校名を隠したがることに心を痛めているなら、ひとつだけ。

隠したがることを、直そうとしなくて大丈夫です。「堂々としなさい」「いい学校でしょう」と説得したくなる気持ちは分かりますが、恥ずかしさは説得では消えません。私の場合も、消してくれたのは説得ではなく、時間と経験でした。

むしろ効くのは、家の中では学校が「普通のもの」として扱われていることです。親が学校の話を普通にする。行事の話を普通に聞く。それだけで、子どもにとって学校は「家では隠さなくていいもの」になります。外で言えるようになるのは、その後でいい。

親としての関わり方は不登校の子の進路、親にできることにも書いています。

入学を迷っている段階なら:恥ずかしさで選択肢を捨てないで

もしあなた(またはお子さん)が入学検討の段階で、「通いたい気持ちはあるけど、恥ずかしい気がして踏み切れない」のだとしたら、これだけは伝えたいです。

恥ずかしさは入学後に薄れていく感情ですが、「合う環境を逃した後悔」は残ります。 私は通信制のおかげで卒業でき、社会に出られました。もしあのとき「通信制って恥ずかしいから」と全日制にこだわっていたら、たぶん高校生活そのものが続いていません。世間の目という不確かなものと、自分に合う環境という確かなもの。天秤にかけるまでもない、といまなら断言できます。

それに、いまのN高は「恥ずかしい学校」どころか、最新のIT教育が評価されて「世界最高の学校賞」イノベーション部門で世界トップ3に選出された学校です(公式パンフレットより。ノミネート10校のうち日本からはN高のみ)。eスポーツの全国大会で優勝し、投資部には著名投資家が顧問につき、生徒会は年間1,000万円の予算を動かす。中身を知れば知るほど、「恥ずかしい」という言葉が場違いに思えてくるはずです。

まずは資料で中身を見てみてください。イメージと実物の差に、たぶん驚きます。学校の実際の様子は在校生4人に聞いた評判にも書いています。

学校のことを人に聞かれる前に、まず自分で中身を知っておくと気が楽になります。請求してみたときの記録を残しました。

まとめ:恥ずかしさは、通過点です

最後にまとめます。

  • 「恥ずかしい」と感じるのは変ではない。学校に感謝しながら学校名を言えなかった私が保証します
  • 恥ずかしさの正体は学校ではなく、少数派でいることの緊張と、「まだ何者でもない」時期の心細さ
  • 私の場合、できることが増えたら勝手に消えました。気合いで消すものではありません
  • いまの在校生は堂々としています。「目的があって選ぶ学校」に変わったからです
  • 対処は「自分から言わない・聞かれたら短く」。深掘りされる場面は、思っているよりずっと少ない

この記事を書きながら、ひとつ気づいたことがあります。私はいま、通信制卒であることをこうして何千字も書いて公開しています。かつて校名すらごまかしていた人間が、です。恥ずかしさは克服するものではなく、いつの間にか「昔の話」になるもの——私自身が、その生きた証拠でした。

最後に、当時の私と同じ気持ちでいる君へ。あの頃の私に言葉をかけられるなら、こう言います。

わざわざ自分から言わなくていい。聞かれたら答えるくらいでいい。 それより、学校で単位を積んで、好きなことに時間を使って、できることをひとつずつ増やしてほしい。恥ずかしさは、君が前に進んだぶんだけ、後ろに置き去りになっていくから。

学校選びをこれからする人は、評判の実際体験記ものぞいてみてください。